ちょっとこだわりの社寺めぐり&街歩き

埼玉県中心にお寺・神社を訪問しています

安国寺(越谷市)/熊谷次郎直実、縁の寺

大龍山東光院 安國寺/越谷市

 

宗派  浄土宗

本尊  阿弥陀如来(市指定文化財)、鎌倉時代前期

再興  康安元年(1361)、誓譽専故人

 


 

【所蔵文化財】

 

・木造阿弥陀如来立像(越谷市指定文化財)
・円空佛三体(越谷市指定文化財)
・観智国師書状(越谷市指定文化財)

 

綺麗に整えられた芝生。正面に本堂、右手に鐘楼と御堂が見えます

【寺院縁起】

 

熊谷出身の武士「熊谷次郎直実」は、源義朝の配下として16歳での若さで初陣。多くの武功を挙げ、源頼朝より「坂東一の剛の者」と称されます。のち、法然上人に学び出家。法然上人より「坂東の阿弥陀ほとけ」とまで言わしめたと、記録が残ります。熊谷次郎直実は法力坊蓮生(ほうりきぼうれんせい)を称し、故郷熊谷の地に草庵を開き布教。越谷市大泊の安國寺の寺伝にもこの地で草庵を開き布教につとめた記録が残ります。

のち、紀州国熊野大泊村:安國寺の住職「誓譽専故人」が当地を訪れ蓮生坊の故郷と知りますが荒廃した寺の状況を嘆き、康安元年(1361)寺院を建立。故郷大泊と同地名のもとに当寺を「安國寺」と称し、浄土宗大龍山東光院安國寺となったそうです。本尊の木造阿弥陀如来立像は鎌倉時代前期、恵心僧都の作で、法然上人より譲られたものとされています。

 

 

熊谷次郎直実さん、武士としても僧侶としても突出した凄い方だったんですね。

 

 

 

 

鐘楼:銅板本葺き屋根、二軒。彫刻も凝っています

 

 

 

 

閻魔大王地蔵尊堂

 

 

 

 

動物供養墓

 

 

 

 

境内でくつろいでいた猫。居心地がいいのでしょう

 

 

 

 

御本堂には円空像があるようです。

 

住所:埼玉県越谷市大泊910

 

アクセス:東武スカイツリーライン 「せんげん台」東口より徒歩15分

 

バス:「せんげん台」駅より茨急バス(大泊平方循環)安国寺前バス停より徒歩1分

 

周辺地図

 

 


国宝松本城(長野県)/五層六階、日本最古の天守

過去記事から続きます

 

 

k-papa19.hatenablog.com

 

「おー! これが国宝松本城!大きい」というのが第一印象

門番を過ぎ中へ

事前に電子チケットを購入していたので待たずに入城出来ました

 

これお勧めです!

 

 

www.matsumoto-castle.jp

 

名栗仕上げの柱が並ぶ

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鯱真木。昭和の大修理の際に取り替えられたもの。天保14年(1843)の記。

この先端が鯱を内部から支えていたんですね

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妻壁の懸魚

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根継ぎの跡が見えます。

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内部からの眺め。見晴らしがいい

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天守最上階で上を見上げると、二十六神将が祀られていました

 

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「二十六夜神伝説」に基づいています。ざっくり言うと、、

 

・高崎藩から松本城に入った戸田康長の持筒頭の川井八郎三郎

 ↓

・夜中に自分の名前を呼ぶ声で目が覚めた

・赤い袴を着た姫が立っていた

・「これから、二十六夜様を祀りお米を備えれば更にお城は栄えます」

 と告げられる

 ↓

・八郎三郎は殿に伝える

・戸田康長は天守六階の梁の上に二十六夜様を祀り、毎月26日に

 お餅を備える事とした

 

 

屋根に置かれた「捨て瓦」。上層部から凍った雪が落ちた際に平瓦と丸瓦が傷まないよう昭和の大修理の際に置かれました

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観光客の落書き。こういう事は本当にやめて欲しい

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松本城天守 国宝指定書がありました

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内部には沢山の鉄砲が陳列

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上から入口を見ると長蛇の列!

事前購入のwebチケットを活用しましょう

 

 

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優雅に泳ぐ白鳥と松本城。周りにいた人もゆったりとした白鳥に見とれてました

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翌日早朝、上高地へ

 

上高地へ続きます

四柱神社から松本城へ、前編(長野県)/全ての願いが叶うとされる

長年憧れていた、松本城へ

 

都内出発なので新宿から特急あずさで向かいます

 

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宿泊するJR松本駅前のホテルで大きな荷物を預け、松本城に向かいつつ腹ごしらえ

 

中町通り商店街「松本くろ門」さんで山賊焼きをいただきました。

腹も満たされ満足です

 

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内装も素敵、居心地のいい空間

 

松本城へ行く途中、四柱神社(よはしらじんじゃ)へ寄り道

 

【四柱神社】

・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)

・神皇産霊神(かみむすびのかみ)

・天照大神の四柱の大神

 

四柱の大神を祀る神社

造化の三神と最高至貴の天照大神

全ての願いが叶うとされています

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木鼻、向拝周りの彫刻が素晴らしい

狛犬、迫力あるお顔されてます

神社前の店に鮮やかな手毬。

かつては家計を支える為、女性が作り松本市の名品となったようです


神社からお城は直ぐそば

 

【松本城】

 

あいにくの曇り空。どんよりしてますが、黒くそびえる存在感は迫力あります

 

 

お堀の向こうにお城が見えてきた

 

後編に続きます

 

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四柱神社アクセス

 

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満行寺(新座市)/在原業平に詠まれた野寺の鐘

八幡山満行寺(はちまんざん まんぎょうじ):新座市

 

宗派  真言宗智山派

本尊  不動明王

創建  不詳ながら、平安時代の歌人「在原業平」が満行寺の鐘の音を詠んだことから、古刹寺院であることが伺えます

 

かつては十二天村にあり、八幡社だけでなく三十余りの社、三百の坊社など七堂伽藍を備える

 

【詠まれた歌】

 

在原業平 (825-880年)

「武蔵野の 野寺の鐘の聲聞けば 遠近人ぞ道いそぐらん」

道興准后 (1430-1527年)
「音に聞 野寺を問えば跡ふりて こたふる鐘もなき夕哉」

 

山門:奥に新しい本堂が見えます

 

 

【寺院縁起】

 

真言宗智山派の寺院。江戸時代に幕府が編纂した地誌書「新編武蔵国風土記稿」文政11年(1828)成立には 野寺村 満行寺 境内三町 本尊不動明王立像 豊島郡石神井村三宝寺末寺なり。野寺山弥陀院滝本坊と号す。

開山は詳らかならざれど、古き蘭若にて古歌に武蔵野の野寺の鐘などよめりしこの寺の事なりと寺伝に伝えり。・・・と記されています。

本尊の不動明王は室町時代の前期に作られたものです。満行寺のある旧野寺村は片山郷内十か村の1つで、江戸時代は旗本小野氏の知行地でした。

平成4年9月

 

 

山門前の六地蔵。銅板平葺き

 

 

軒先は緩やかに反っています

 

 

山門を通ると左に地蔵堂

 

 

本堂:新築したばかりですね

 

 

濡縁、擬宝珠、高欄も立派な造り

 

 

妻壁は二重虹梁

 

 

 

 

平安時代より詠まれた鐘楼。袴型鋼板屋根形式

 

 

 

境内にある「かたやま幼稚園」遊具が沢山見えます。訪問する際は児童の通行に注意下さい

 

 

お社も在りました。

 

 

お寺の前の道は狭くカーブ。奥に向かって坂になっています

 

 

【アクセス】

 

住所  埼玉県新座市野寺2丁目15−17

 

交通  西武池袋線「ひばりが丘」より徒歩25分程、最寄りバス停「火の見下」他

 

周辺地図

 

 

上之雷電神社(熊谷市)/文化財多数

 

 

市の中心街から少し離れていますがとてもいい雰囲気の神社です

 

ご祭神

【上之村神社主祭神】

・事代主命 (ことしろのみこと)

・大山祇神(おおやまつみのかみ)

・大己貴命(おおなむちのみこと)

【大雷神社主祭神】

・大雷神(おおいかづちのかみ)

創建

平安時代以前

※社伝では応永(1394-1428)年間、成田五郎家時により再興

 

小さな橋を渡ります

室町時代応永年間(1394~1427年)創建

 

鳥居正面から社殿まで長く綺麗な参道

上之村神社鳥居 市指定有形文化財 両部鳥居の形式 

いいお顔をされていますね。阿形は笑顔にも見えます

                   狛犬

手水舎の蟇股に「鬼滅の刃:我妻善逸」・・子供が置いたのかな

手水舎

拝殿

拝殿は旧神社門。曳家で本殿前へ移動し拝殿として用いています

拝殿内部

 

 


手前:大雷神社本殿 県指定文化財 
奥:上之村神社本殿 県指定文化財

緑も多く落ち着いた雰囲気でした

 

【公式ホームページ】

 

www.kaminomura.me

 

アクセス:熊谷駅からバスで約15分

【周辺地図】

 

不許葷酒入山門、禁葷酒、禁芸術売買「結界石」

お寺の入口でこんな石塔をみかけました「禁葷酒」

 

 

「葷?」何て読むんだろう・・・軍?軍隊のこと?

 

さらに別のお寺では「不許葷酒入山門」

 

 

葷そして酒?・・漢文的に考えると、「葷と酒は山門に入るな」という事ですが、、

 

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葷=くん、と読みます。では意味は?

 

葷=①ネギやニラなどの香りの強い野菜、②生臭い肉・魚、の事でした、そして酒。

 

葷酒山門に入るを許さず=くんしゅ さんもんにはいるをゆるさず。主に禅寺の門前にある結界の一つ。「臭気の強い野菜は他人を苦しめ、自分の修行の妨げにもなる。酒は心を乱す事にもなるのでこれらを口にしたものは境内に入る事を許さない」

 

強烈な臭いがする野菜を食べたり、酒を飲んでいる者は境内に入ってはいけません。という強いメッセージでした。

 

 

 

お寺ではお酒が禁止。。ここで「ん?」と思いました。葬儀や法事の後に行われる「お斎(おとき)」の場ではお酒が出る事もありますね。そういえば、私が檀家の御住職はお酒が大好きな方です。時代と共に慣習も変わっていったのでしょう。因みにお斎と精進落としについて

 

お斎:語源は仏教で食べる「斎食(さいしょく)」葬儀・法事の後に行われる食事会。地域によっては葬儀の朝に故人と最後にとる食事を指すようです。御斎とも書かれます。古くは四十九日の忌明けまでは肉や魚などを使わない精進料理を食べて過ごしていました。精進落とし:精進料理から通常の食事に戻すこと。現代では葬儀や火葬の後での食事会を指します

 

川越市:養寿院

 

 

手水舎で手を洗ったりする事から考えると、参拝時には身を清め気持ちよく訪問したいものです。

 

そしてこちら。川越市:善仲寺。正面は「不許葷酒入山門」ですが

 

 

横を見ると「禁芸術売買」とあります。埼玉県内ではあまり見かけません。とても珍しいと思います。「境内で芸術品の売買は禁止」という事なのでしょうか?調べたところ、当時の「芸術」とは絵画や書、器などの芸術品を売る事ではなく大道芸や芝居などの商売目的の興行を指していたようです。

 

 

「俗な物は境内に入ってはならない」という事のようです。「俗な物」と言えば・・お寺の住職は本名を本来の読み方ではなく別の読み方をされています。俗世間と隔てた僧侶としての名前を持っているのです。

 

足立区:長建寺。珍しい石碑がありました。「不許酒肉五辛入門内」酒、肉はダメなのはわかりますが、五辛とは何だろう??

 

 

五辛:大蒜(おおびる:ニンニク)、茖葱(かくそう:ラッキョウ)、慈葱(じそう:ネギ)、蘭葱(らんそう:アサツキ)、興渠(こうこ:ニラ)の事でした。

 

5世紀に仏教の戒律について説かれた「梵網菩薩戒經」の四十八軽戒の第四食五辛戒の中に「若佛子。不得食五辛。大蒜茖葱慈葱蘭葱興蕖。是五種一切食中不得食。若故食者。犯輕垢罪」とあります。

 

大まかには「若仏子、五辛を食することを得ざれ。大蒜(おおびる)と茖葱(かくそう)、慈葱(じそう)、蘭葱(らんそう)、興渠(こうこ)。『この五種を食事の際に食してはならない。もし食べたならば罪を犯す事になる』そんな意味のようです

 

主に禅宗の寺院前に設置されたようです

 

僧侶になるには今よりも遥かに厳しい修行があったのですね

 

 

東圓寺(朝霞市)/弘法大師が水を湧かせた不動の瀧

松光山 東圓寺(とうえんじ)/朝霞市

 

宗派  真言宗智山派

本尊  薬師如来像

創建  詳細不明

 

【所有文化財】

 

  • 板石塔婆
  •  
  • 不動の瀧
  •  
  • 一夜塚供養塔

 

地域に古くから薬師堂がありましたが、法印永慶が荒廃していた薬師堂を嘆き、寛弘年間(985~1011)に再建。境内奥の不動堂そばには、弘法大師が地面に杖を突きたて水を湧かせたと伝わる不動の瀧があります

 

境内案内図:かなり大きな御寺です

 

 

袖塀付き山門前には仁王像

 

 

降棟の鬼瓦。鳥衾に下り藤の紋が見えます。寺紋かな

 

「鳥衾」

衾は平安時代に用いられた寝具の事。鬼瓦が鳥の糞で汚れないように、ここに止まって下さい。と敢えて飛び出した瓦の事

 

 

右手に立派な鐘楼。緑が多く癒されます

 

 

弘法大師、御杖堀霊泉「不動の瀧」は、境内の奥

 

 

鮮やかな竹林。緑に映えますね。この竹林が不動の瀧へ繋がります

 

 

こちらの瓦の鳥衾は真言宗智山派の宗門である「桔梗紋」になってます

 

丸柱に控え柱付き

 

 

蟇股彫刻。4面とも違いますね。斧を持つ者、剣を持つ者、四天王とも違うようです

 

 

 

隣に稲荷明神

 

 

お稲荷さん。。狐ではなく狸かな?

 

 

本堂:RC造の建物、屋根は銅板本葺き

 

 

屋根は二軒繁垂木、手挟み、向拝柱には獅子鼻

 

 

妻側は二重虹梁、華やかな懸魚付き

 

 

埼玉県内に多く見られる板碑はしっかりと守られています

 

 

板碑についてはこちらで記事にしています

 

境内の様子

 

 

休み処:丸太が生かされ素敵ですね

 

 

一夜塚供養塔

 

 

【一夜塚供養塔の由来:抜粋】

 

昭和18年、大東亜戦争の最中、東京より郷里朝霞に戻ってくる世帯多く、この岡地域、第二小学校の増築を決定。校庭の隣にあった一夜塚を述べ3千人で切り崩し、そこに小学校を建てたのであります。昭和27年、時の先輩達は一夜塚古墳保存会を結成、第二小学校隅に一夜塚古墳群の碑を建立。一方寺には、出土品の一部を埋葬。一夜塚御堂の供養を行い、供養塔を建立。おそらく当時の先輩達は、取り崩された古墳の主に謝罪する一方、その跡地、小学校に学ぶ私共子孫に御霊の御加護をお願いして建てた事と思います

 

 

当時の人達の優しさ、御先祖様を大切にする素敵なエピソードですね

 

山門:不動の滝へ通じています

 

 

妻側の様子。銅板で大棟を造り、屋根は膨らみを持たせた茅葺風。貴重な珍しい形式です

 

 

薬医門ですね:主柱は角柱、控え柱は丸太の曲線を生かした丸柱

 

 

鮮やかな竹林。埼玉に居る事を忘れてしまう

 

 

 

「松光山八十八ヶ所」とされ、左右に弘法大師像や様々な石碑が並びます。

弘法大師像(こうぼうだいし)が88体並んでいるそうで、

「松光山八十八ヶ所第〇番」と彫られています。

ただし、置かれている順番はバラバラ。

思わず順不同に並んだお地蔵様を全部確認したくなりましたが

 

 

 

階段を降りた先に不動堂

 

 

RC造、朱塗りの御堂。屋根は銅板平葺き

 

 

境内の水鉢には可愛らしく花が飾られていました

 

境内は緑も多く心地いい空間で癒されますよ。山門右手に駐車場があります。

交差点から少し入りづらいかもしれませんので気を付けてくださいね

 

 

【アクセス】

 

住所:埼玉県朝霞市岡2-8-92

 

交通:武蔵野線「北朝霞」、東武東上線「朝霞台」より、徒歩約20分

 

周辺地図